1-7 連想は非論理的でバカげたものを

昔の文献に次のような記録がある。

「人は、毎日見ているささいな、ありふれた事柄を、一般に覚えてはいない。奇抜な、不思議な、俗悪な、法外な、巨大な、などといった常とはちがうバカげたことを見たり聞いたりすれば、長い間覚えているのである。それ故に、身近に見聞することは通常、見すごしてしまうのだが、子供の頃の出来事などはよく覚えている。

見るという行為に変わりはないのに、正常でありふれたことは簡単に記憶から脱落し、異様なことは、いつまでも記憶に残っている。理に合わない話ではないか。」

たとえば、「自動車」と「材木」を連想でつなぐとする。正常な感覚でやれば、材木を積んだトラックが走っている絵になってしまうが、これでは平凡でイメージに残りにくい。

では、材木がスーパーカーですっとはしている連想はどうか。それとも、タイヤがついた材木が走っているのでもよい。これなら、非論理的だし、かなりバカげているから印象が強い。

「トウモロコシ」と「野球」ならどうか。イチロー選手がトウモロコシを食べているイメージも悪くはないが、でも、ありそうなことだ。トウモロコシのバットをかついだイチロー選手が、飛んでくるポップコーンの球を打っているイメージの方が効果があるだろう。

筋が通って論理的であることは、それ自体むしろ記憶を容易にする面がある。どんな将棋でも記憶してしまうプロ棋士でも、もし相手が幼稚園児で支離滅裂な手ばかりやってきたら覚えきれないかも知れない。

要は、正常で当り前すぎると印象が弱いということなのだが、もうひとつ大切なことがある。

それは、バカげたことや非論理的なイメージを描くということが一種の創造的活動だということである。そういう知的努力があるからこそ、頭にしっかり刻み込まれるのである。

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